2018-01-01から1年間の記事一覧

モアブの位置(エレミヤ48章26-36節)

モアブの位置に注目しなければならないなあ。もしかすると私たちもすぐにモアブの位置に立つことがあるのではないかなあ。ちょっと離れたところ(死海を挟んで反対側)で、高ぶる自分がいるのではないかなあ。世界情勢を見ながら、島国日本も良く似た面があ…

この箇所、さばきしか書かれていない(エレミヤ25章30-38節)

今日の箇所を読みながら、「さばきたまえ」の詩篇の言葉が頭をよぎる。人は正しいさばきを欲しているものであったはずだ。ただ人によるさばきに対して、人は失望してしまって、さばき自体に対する不信感が私たちにある。私たちが生きる日本の地では、このよ…

日が延びること自体が祝福だという理解を持とう!(第二列王記20章)

ヒゼキア王が出てきたことで、ユダ王国の滅亡は確かに延びた。滅亡は決定していたにもかかわらず延びたのである。ユダヤ王国滅亡に向けて加速していた筈なのに、ヒゼキアによって減速したのだ。減速は意味がないのか、どうせ滅びるのだから、減速に何の意味…

ナザレから何の良いものがでるだろう(ヨハネ1章43-51節)

ナタナエルは「ナザレ」と聞いただけで、鼻で笑い、答えを出した。我々の福音は、その「ナザレ発」なのだ。「ナザレから何の良いものがでるだろう」という偏見から刺激を頂きながら成長してきたのがキリスト教である。それにしても、クリスチャンが「ナザレ…

パウロの罪意識は本当だったんだろうなあ

私はルター派ではないが、パウロの罪意識に対して、あれは本当に本物だったと思う。そこからすべてが始まるというのも本当だと思う。聖潔が見えてこないとしても、罪意識を持っているがゆえに、生きることができたのだと思う。私は高度な罪意識とか、罪意識…

クリスチャンの居場所が社会的に認識されるために

クリスチャンの居場所が社会的に認識されるために、石破さんが首相になったら良いと思う。自民党内でも阿部体制への限界を感じる空気が広がるなかで、異なるキャラクターとしては石破さんだと思う。その場合、クリスチャンが石破さんを支えるというよりも、…

まだ見えない我々の過去、現在、未来

私は若き頃、井戸垣師の書物で日本人クリスチャンの癖を悟らされた。戦前の基督教歴史を戦後のMBがどう捉えるか、それが重要であることに気づかされた。それで教会の皆さんにこの方の著作をプレゼントした。しかし私の感触は、皆さん触れたくないというもの…

別の王がいる(使徒の働き17:1-15)

「別の王」と言うユダヤ人たちの言葉が、当時のユダヤ人にもギリシャ人にも響いた言葉なんだなあと思った。響いていたからこそ人々を先導することができたんだなあ。なぜなら政治的にも共同体的にも個人的にも別の王がいてもらっては困るのだ。日本でのキリ…

この方以外に救いはない(使徒4:1-12)

次の日曜日、この箇所から説教することが決まっている。現代社会のなかで排他的に思える「この方以外に救いはない」のペテロの言葉であるが、果たして本当に排他的なのか、そのあたりに知恵が与えられたらと思う。恩師三谷幸子先生が、中田羽後氏が三谷種吉…