2019-01-01から1年間の記事一覧

カプセルホテルに泊まって(ヨナ1章)

アメ横のカプセルホテルに泊まった。受付の方はどこの国の方だったのか。サウナでうちわで扇いでくれようとした人はどこの国の方だったのか、夜中で誰かがベットから落ちて、外国語で会話していたのはどこの国の方だったのか。隣の回転寿司に行くと皿を数え…

あなたの罪は赦された(マタイ9章1-8節)

睡眠不足なら寝たら良い。体が疲労しているなら、疲労した部分を休ませば良い。あの人との関係で疲れていたら、あの人と和解したら良い。中風が癒されたいのなら中風を癒してもらえば良い。でも解決したらみんな帰っていって忘れ去って、それで終わりである…

信仰告白を喜ばれる主イエスさま(マタイ16章13-23節)

教会の中高生たちは今、キャンプに行っている。行けなかった子たちは、来週、教会でお泊まり会だ。イエスさまの弟子たちはいつもキャンプをしているようなものだ。でももっと別世界のキャンプが必要だった。それは、大会衆がついて来ない、忙しくないキャン…

この言葉を聞いた時(ネヘミヤ1章)

本日の箇所を読んだ時、最初に思ったのは、祈りのなかに何度も「しもべ」が出てくることだった。自分の祈りはどうだろうか。自分は苦しみと痛みの中で「しもべ」を連発して祈ってみようと思った。祈り方としては、モーセも「しもべ」だった。アブラハムも「…

十字架の道(マタイ16:21~28)

今日は早天祈祷会でこの箇所をみんなで読んだ。一人の兄弟が「イエスさまは怖い上司じゃなかったんですね。」と驚いていた。というのは、イエスさまはペテロにいさめられるぐらいの距離感の方だったということに驚いたのだそうだ。私には彼の驚きが新鮮だっ…

傷ついた葦を折ることなく(マタイ12章14-21節)

今週火曜日のデボーションの箇所でした。今日と明日の説教の箇所にしました。子供の頃から親の祈りの中で聞いてきた御言葉です。イエスさまはご自身を殺害する相談を知ったのです。知ったのでその場を立ち去ったのです。しかし群衆がついてきたので、求める…

わたしの心だ。きよくなれ(マタイ8章1〜13節)

イエスさまは共感してくださるお方だ。ツァラアトの方が「心」という言葉を使用すると、同じ「心」という言葉をちゃんと使ってくださって、イエスさまは答えてくださった。自分もその人の言葉をちゃんと使用した共感者にならないといけないなあと思った。そ…

地の塩、世の光(マタイ5章13-20節)

地の塩、世の光は、私に自信を与えてくれる。アイデンティティーを刺激してくれる。イエスさまが私は世の光と言われたが、私たちもそうだよと言ってくれているからである。また福音的信仰を頂いているが、社会的にも輝く自信を与えてくれる。つまりこの世界…

幸いなるかな(マタイ5章1〜12節)

最近、私がメッセージのなかでよく言うようになったのは、「イエスさまがそう言われているんだから」という言葉です。いろいろ説明を加えることをしたくなくなりました。「イエスさまがそう言われているんだから」ということが一番正しいことだと思います。…

主にだけ仕えよ(マタイ3章13節〜4章11節)

本日の箇所は二つに分けてほしかった。3章13節から17節が魅力的な箇所だし、4章1節から11節も魅力的な箇所だ。明日の説教、私は4章をナウエンの理解で語りたかったが、3章のほうを選んでしまった。タイトルは「今はそうさせて頂きたい」だ。イエスさまは生涯…

バプテスマのヨハネ登場(マタイ3章1-12節)

シンプルでその通りの人で有り抜いたバプテスマのヨハネだった。彼は罪を悔い改めた人たちに洗礼を授けたのであるが、その悔い改めた人たちに、ただ悔い改めるだけじゃだめだ、悔い改めの実を結べと怒り言葉で責めている。まるで水のバプテスマには限界があ…