新型コロナウイルス感染に神経質になっている中で(マルコ7章1〜23節)

新型コロナウイルスのことで、手を洗うことが勧められているこの時期に、確かにひっかかりつつも響いてくる箇所です。弟子たちの中の「ある者」が手を洗わなかったことが、救い主イエスキリストを攻撃する攻撃材料になっています。しかしイエスさまはそれに…

船の体験(マルコの福音書33-41)

最近、船に関心が向く。なぜなら新型コロナウイルスもクルーズ船で広がったニュースがあったから。以前、こんな日本という船という視点で説教したこともある。同船している主のご臨在を覚えることがどんなにすばらしいことか。大きな船の場合は船感がないか…

「人と人を繋げるしもべ」(創世記24章28〜49節)

正直、こんなしもべがいたらいいなあ、と思いました。また自分もこんなしもべにならないといけないなあと思いました。私たちの世界では見たことがありません。アブラハムよりもこのしもべが輝いています。限られた情報のなかでどうして、こんな成功があるの…

カプセルホテルに泊まって(ヨナ1章)

アメ横のカプセルホテルに泊まった。受付の方はどこの国の方だったのか。サウナでうちわで扇いでくれようとした人はどこの国の方だったのか、夜中で誰かがベットから落ちて、外国語で会話していたのはどこの国の方だったのか。隣の回転寿司に行くと皿を数え…

あなたの罪は赦された(マタイ9章1-8節)

睡眠不足なら寝たら良い。体が疲労しているなら、疲労した部分を休ませば良い。あの人との関係で疲れていたら、あの人と和解したら良い。中風が癒されたいのなら中風を癒してもらえば良い。でも解決したらみんな帰っていって忘れ去って、それで終わりである…

信仰告白を喜ばれる主イエスさま(マタイ16章13-23節)

教会の中高生たちは今、キャンプに行っている。行けなかった子たちは、来週、教会でお泊まり会だ。イエスさまの弟子たちはいつもキャンプをしているようなものだ。でももっと別世界のキャンプが必要だった。それは、大会衆がついて来ない、忙しくないキャン…

この言葉を聞いた時(ネヘミヤ1章)

本日の箇所を読んだ時、最初に思ったのは、祈りのなかに何度も「しもべ」が出てくることだった。自分の祈りはどうだろうか。自分は苦しみと痛みの中で「しもべ」を連発して祈ってみようと思った。祈り方としては、モーセも「しもべ」だった。アブラハムも「…

十字架の道(マタイ16:21~28)

今日は早天祈祷会でこの箇所をみんなで読んだ。一人の兄弟が「イエスさまは怖い上司じゃなかったんですね。」と驚いていた。というのは、イエスさまはペテロにいさめられるぐらいの距離感の方だったということに驚いたのだそうだ。私には彼の驚きが新鮮だっ…

傷ついた葦を折ることなく(マタイ12章14-21節)

今週火曜日のデボーションの箇所でした。今日と明日の説教の箇所にしました。子供の頃から親の祈りの中で聞いてきた御言葉です。イエスさまはご自身を殺害する相談を知ったのです。知ったのでその場を立ち去ったのです。しかし群衆がついてきたので、求める…

わたしの心だ。きよくなれ(マタイ8章1〜13節)

イエスさまは共感してくださるお方だ。ツァラアトの方が「心」という言葉を使用すると、同じ「心」という言葉をちゃんと使ってくださって、イエスさまは答えてくださった。自分もその人の言葉をちゃんと使用した共感者にならないといけないなあと思った。そ…

地の塩、世の光(マタイ5章13-20節)

地の塩、世の光は、私に自信を与えてくれる。アイデンティティーを刺激してくれる。イエスさまが私は世の光と言われたが、私たちもそうだよと言ってくれているからである。また福音的信仰を頂いているが、社会的にも輝く自信を与えてくれる。つまりこの世界…

幸いなるかな(マタイ5章1〜12節)

最近、私がメッセージのなかでよく言うようになったのは、「イエスさまがそう言われているんだから」という言葉です。いろいろ説明を加えることをしたくなくなりました。「イエスさまがそう言われているんだから」ということが一番正しいことだと思います。…

主にだけ仕えよ(マタイ3章13節〜4章11節)

本日の箇所は二つに分けてほしかった。3章13節から17節が魅力的な箇所だし、4章1節から11節も魅力的な箇所だ。明日の説教、私は4章をナウエンの理解で語りたかったが、3章のほうを選んでしまった。タイトルは「今はそうさせて頂きたい」だ。イエスさまは生涯…

バプテスマのヨハネ登場(マタイ3章1-12節)

シンプルでその通りの人で有り抜いたバプテスマのヨハネだった。彼は罪を悔い改めた人たちに洗礼を授けたのであるが、その悔い改めた人たちに、ただ悔い改めるだけじゃだめだ、悔い改めの実を結べと怒り言葉で責めている。まるで水のバプテスマには限界があ…

モアブの位置(エレミヤ48章26-36節)

モアブの位置に注目しなければならないなあ。もしかすると私たちもすぐにモアブの位置に立つことがあるのではないかなあ。ちょっと離れたところ(死海を挟んで反対側)で、高ぶる自分がいるのではないかなあ。世界情勢を見ながら、島国日本も良く似た面があ…

この箇所、さばきしか書かれていない(エレミヤ25章30-38節)

今日の箇所を読みながら、「さばきたまえ」の詩篇の言葉が頭をよぎる。人は正しいさばきを欲しているものであったはずだ。ただ人によるさばきに対して、人は失望してしまって、さばき自体に対する不信感が私たちにある。私たちが生きる日本の地では、このよ…

日が延びること自体が祝福だという理解を持とう!(第二列王記20章)

ヒゼキア王が出てきたことで、ユダ王国の滅亡は確かに延びた。滅亡は決定していたにもかかわらず延びたのである。ユダヤ王国滅亡に向けて加速していた筈なのに、ヒゼキアによって減速したのだ。減速は意味がないのか、どうせ滅びるのだから、減速に何の意味…

ナザレから何の良いものがでるだろう(ヨハネ1章43-51節)

ナタナエルは「ナザレ」と聞いただけで、鼻で笑い、答えを出した。我々の福音は、その「ナザレ発」なのだ。「ナザレから何の良いものがでるだろう」という偏見から刺激を頂きながら成長してきたのがキリスト教である。それにしても、クリスチャンが「ナザレ…

パウロの罪意識は本当だったんだろうなあ

私はルター派ではないが、パウロの罪意識に対して、あれは本当に本物だったと思う。そこからすべてが始まるというのも本当だと思う。聖潔が見えてこないとしても、罪意識を持っているがゆえに、生きることができたのだと思う。私は高度な罪意識とか、罪意識…

クリスチャンの居場所が社会的に認識されるために

クリスチャンの居場所が社会的に認識されるために、石破さんが首相になったら良いと思う。自民党内でも阿部体制への限界を感じる空気が広がるなかで、異なるキャラクターとしては石破さんだと思う。その場合、クリスチャンが石破さんを支えるというよりも、…

まだ見えない我々の過去、現在、未来

私は若き頃、井戸垣師の書物で日本人クリスチャンの癖を悟らされた。戦前の基督教歴史を戦後のMBがどう捉えるか、それが重要であることに気づかされた。それで教会の皆さんにこの方の著作をプレゼントした。しかし私の感触は、皆さん触れたくないというもの…

別の王がいる(使徒の働き17:1-15)

「別の王」と言うユダヤ人たちの言葉が、当時のユダヤ人にもギリシャ人にも響いた言葉なんだなあと思った。響いていたからこそ人々を先導することができたんだなあ。なぜなら政治的にも共同体的にも個人的にも別の王がいてもらっては困るのだ。日本でのキリ…

この方以外に救いはない(使徒4:1-12)

次の日曜日、この箇所から説教することが決まっている。現代社会のなかで排他的に思える「この方以外に救いはない」のペテロの言葉であるが、果たして本当に排他的なのか、そのあたりに知恵が与えられたらと思う。恩師三谷幸子先生が、中田羽後氏が三谷種吉…

あわれみ深い大祭司となるために(ヘブル2:10-3:1)

あわれみ深い大祭司となるために、イエスさまはこのように歩まれたんだ。正直、イエスさまが・・・なるために、という言葉自体をなかなか受け止めきれない。イエスさまが受肉されて、この悪の世界のなかで学習されたということ自体が受け止めきれない。イエ…

至高のイエスキリスト(コロサイ1:15-23)

ヨハネもパウロもぶれがなく、同じことを語っているなあと改めてひしひしと感じます。クリスマスのキャンドルサービスの時に牧師として読む箇所はやはり、ヨハネ1章です。ヨハネ1章の箇所と同じことを詳しくコロサイ1章で語られているなあと改めて覚えること…

イエスさまの心を私たちのこころに(ピリピ2:5-11)

イエスさまは降りられました。上られたのではありません。降りられたのです。私たち人間は上り癖がついてしまっているのじゃないだろうか。しかしイエスさまは降りられたのです。ここでは、降りられたイエスさまのような心構えでいなさいと言われています。…

神の家族とされるめぐみ(エペソ2:11-18)

やはり、クリスチャンはイスラエルから見て異邦人だった。ただ肉において異邦人だったという言い方だ。その意味では今も肉においては異邦人だ。でもパウロは肉においての話をしていないのは明白。ここで、エペソの人たちに対して、キリストから離れたという…

私たちのために生まれるみどり子(イザヤ9:1-7)

確かに、イザヤ7章のインマヌエルがどのようなお方であるかを指し示している。「しるし」が少しずつ明らかにされる。 イエスさまを知る私たちは、一つ一つ、名前を増えていくことに喜びを感じる。神さまが共におられるという「インマヌエル」に「不思議な助…

インマヌエルの預言(イザヤ7:10-17)

こんなところに「インマヌエル」がありました。改めて「こんなところに」というふうに思いました。何かこの節だけが輝いてみえます。文脈を読もうとするのですが、文脈を超えてしまうような輝きがあります。アハズにとって、「インマヌエル」は全くわからな…

ほふるための羊の群れを養え(ゼカリヤ11:1-17)

おまえは良い牧者か、良い牧者とはどんな牧者か、破滅を前にして誰も良い牧者を信じることができない状況に陥っている。現代日本人も誰も良い牧者を信じることができない人たちになってしまったという意味で危機が近づいているということだろう。危機は好機…