2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

あわれみ深い大祭司となるために(ヘブル2:10-3:1)

あわれみ深い大祭司となるために、イエスさまはこのように歩まれたんだ。正直、イエスさまが・・・なるために、という言葉自体をなかなか受け止めきれない。イエスさまが受肉されて、この悪の世界のなかで学習されたということ自体が受け止めきれない。イエ…

至高のイエスキリスト(コロサイ1:15-23)

ヨハネもパウロもぶれがなく、同じことを語っているなあと改めてひしひしと感じます。クリスマスのキャンドルサービスの時に牧師として読む箇所はやはり、ヨハネ1章です。ヨハネ1章の箇所と同じことを詳しくコロサイ1章で語られているなあと改めて覚えること…

イエスさまの心を私たちのこころに(ピリピ2:5-11)

イエスさまは降りられました。上られたのではありません。降りられたのです。私たち人間は上り癖がついてしまっているのじゃないだろうか。しかしイエスさまは降りられたのです。ここでは、降りられたイエスさまのような心構えでいなさいと言われています。…

神の家族とされるめぐみ(エペソ2:11-18)

やはり、クリスチャンはイスラエルから見て異邦人だった。ただ肉において異邦人だったという言い方だ。その意味では今も肉においては異邦人だ。でもパウロは肉においての話をしていないのは明白。ここで、エペソの人たちに対して、キリストから離れたという…

私たちのために生まれるみどり子(イザヤ9:1-7)

確かに、イザヤ7章のインマヌエルがどのようなお方であるかを指し示している。「しるし」が少しずつ明らかにされる。 イエスさまを知る私たちは、一つ一つ、名前を増えていくことに喜びを感じる。神さまが共におられるという「インマヌエル」に「不思議な助…

インマヌエルの預言(イザヤ7:10-17)

こんなところに「インマヌエル」がありました。改めて「こんなところに」というふうに思いました。何かこの節だけが輝いてみえます。文脈を読もうとするのですが、文脈を超えてしまうような輝きがあります。アハズにとって、「インマヌエル」は全くわからな…

ほふるための羊の群れを養え(ゼカリヤ11:1-17)

おまえは良い牧者か、良い牧者とはどんな牧者か、破滅を前にして誰も良い牧者を信じることができない状況に陥っている。現代日本人も誰も良い牧者を信じることができない人たちになってしまったという意味で危機が近づいているということだろう。危機は好機…