ほふるための羊の群れを養え(ゼカリヤ11:1-17)

 おまえは良い牧者か、良い牧者とはどんな牧者か、破滅を前にして誰も良い牧者を信じることができない状況に陥っている。現代日本人も誰も良い牧者を信じることができない人たちになってしまったという意味で危機が近づいているということだろう。危機は好機かもしれないが、何らかの決断の時が近づいているということなのだろう。ただ良い牧者というのは、さっそうと馬に乗る世俗国家のトップのように生きることではなく、雌ロバの子の子ロバに乗る神の国の、柔和な王であるイエスさまのように生きることである。イエスさまは柔和なお方であるので、私たちも柔和に生きねばならない。またイエスさまは、宮殿で生まれ育たれたお方でなく、忘れ去られたベツレヘムの馬小屋に生まれたイエスさまであるので貧しさ、憂いを知るものとして生きるということである。我々は大牧者を知っているがゆえに、安心だ。


 私は牧者であることを職業としている牧師である。大牧者イエスさまとは異なるが、牧者であるということはどうゆうことか。自発的愛で大牧者ならどうなさるだろうか、という問いかけで生きるということだ。これが私のアイデンティティでなければならないということだ。総理大臣が日本を救う良い牧者に成り得るなどとは誰も思っていない。総理大臣も自分のことを考えているだろうとどことなく思っている。ただ天皇は良い牧者だと思っている人たちは多いと思う。ただキリストとは比較できない・・