船の体験(マルコの福音書33-41)

 最近、船に関心が向く。なぜなら新型コロナウイルスもクルーズ船で広がったニュースがあったから。以前、こんな日本という船という視点で説教したこともある。同船している主のご臨在を覚えることがどんなにすばらしいことか。大きな船の場合は船感がないかも、ジャンボジェットの場合は、飛行機感がないかも。小さくても大きくても船は船であり、イエスさまのご臨在を信じる信仰、これに尽きるのだ。創造主が被造の外のお方なのに被造の船の中におられた、ことに感謝!!  今回気づいたことがもう一つある。「ほかの舟も一緒に行った」とある。もう一つの舟にいた弟子たちの経験と、この舟にいた弟子たちの経験はちょっと違うんだろうなあ。二つの舟とも嵐経験をし、二つの舟とも凪経験をした。しかしこの舟ほどのドラマはなかったかもしれない。つまり「この方は誰であるか」の体験の学びを同船者ほどよくできただろうなと思わされた。つまり、被造世界の中で疲れて居眠りをする方に苛立つ対象こそが被造世界を創造されたお方であるということ。