2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

わたしの心だ。きよくなれ(マタイ8章1〜13節)

イエスさまは共感してくださるお方だ。ツァラアトの方が「心」という言葉を使用すると、同じ「心」という言葉をちゃんと使ってくださって、イエスさまは答えてくださった。自分もその人の言葉をちゃんと使用した共感者にならないといけないなあと思った。そ…

地の塩、世の光(マタイ5章13-20節)

地の塩、世の光は、私に自信を与えてくれる。アイデンティティーを刺激してくれる。イエスさまが私は世の光と言われたが、私たちもそうだよと言ってくれているからである。また福音的信仰を頂いているが、社会的にも輝く自信を与えてくれる。つまりこの世界…

幸いなるかな(マタイ5章1〜12節)

最近、私がメッセージのなかでよく言うようになったのは、「イエスさまがそう言われているんだから」という言葉です。いろいろ説明を加えることをしたくなくなりました。「イエスさまがそう言われているんだから」ということが一番正しいことだと思います。…

主にだけ仕えよ(マタイ3章13節〜4章11節)

本日の箇所は二つに分けてほしかった。3章13節から17節が魅力的な箇所だし、4章1節から11節も魅力的な箇所だ。明日の説教、私は4章をナウエンの理解で語りたかったが、3章のほうを選んでしまった。タイトルは「今はそうさせて頂きたい」だ。イエスさまは生涯…

バプテスマのヨハネ登場(マタイ3章1-12節)

シンプルでその通りの人で有り抜いたバプテスマのヨハネだった。彼は罪を悔い改めた人たちに洗礼を授けたのであるが、その悔い改めた人たちに、ただ悔い改めるだけじゃだめだ、悔い改めの実を結べと怒り言葉で責めている。まるで水のバプテスマには限界があ…