新型コロナウイルス感染に神経質になっている中で(マルコ7章1〜23節)

 新型コロナウイルスのことで、手を洗うことが勧められているこの時期に、確かにひっかかりつつも響いてくる箇所です。弟子たちの中の「ある者」が手を洗わなかったことが、救い主イエスキリストを攻撃する攻撃材料になっています。しかしイエスさまはそれに対して「言い伝え」が神の言葉を無にしてしまう、と嘆かれています。「言い伝え」と神の言葉を区別できなくなっている宗教人の現状を批判しているのです。面白いのは、この討論を用いて、群衆に説教し、弟子たちにも説教するのですが、みんな心底、理解できていなかったのではないかと思ってしまうことです。教会でコロナ対策が話し合われますが、見えないものに対して敏感になっています。しかし見えないものに対して敏感になるのならば、もっと大切な霊的なものに対して敏感にならないといけないのではないでしょうか。議論をせよということではありません。やはりイエスさまからすれば、あなたがたの議論はそこか、という気持ちではなかったかと思います。あなたがたの攻撃はそこか、という気持ちではなかったかと思います。確かにイエスさまは必要あらば論点を変えるお方です。アーメン