私たちのために生まれるみどり子(イザヤ9:1-7)

 確かに、イザヤ7章のインマヌエルがどのようなお方であるかを指し示している。「しるし」が少しずつ明らかにされる。 イエスさまを知る私たちは、一つ一つ、名前を増えていくことに喜びを感じる。神さまが共におられるという「インマヌエル」に「不思議な助言者」という名前が加えられる。メサイヤで歌われる英語「ワンダフルカウンセラー」がなんと快く響いてくるか。「インマヌエル」だけで十分ではないか、それだけではなく、ワンダフルカンセラーという名前を知らされる。

 「インマヌエル」だけでは対話が見えて来ない。でも「ワンダフルカンセラー」では人格関係的対話が見えてくる。すばらしい言葉だ。そして「力ある神」、つまり非指示的に聞いてくださって、共感してくださるカウンセラーというだけではないことがわかる。実際に力があられるお方、当時の偶像の世界のなかで何も答えない偶像ではない、実際に力あるお方として登場されるというのである。次に「永遠の父」これもすごい言葉だ。肉親の父とは違う永遠の父だ。これは旧約のなかで、預言的な言葉だ。旧約聖書で神を父というふうに表現している内容はほとんどないように思う。イエスさまがアバ父と呼んだほどのリアリティーはないが、そのことを少しずつ垣間見させてもらえる言葉だ。そして「平和の君」である。シャロームのお方、つまり、世のなかの軍事力で平和を保つ程度の平和ではない、心のなかにしまいこんでしまうような平安でもない。ダイナミックな平和が表されている。神との関係で負い目がないか、人との関係で負目がないか、自分との関係で負目がないか、世界は負目なく平和であるか、そのことを表す平和である。天使たちは「地には平和」と歌った。それを実現してくださるお方が来られるのだ。名前を黙想することはすばらしいことだ。このクリスマス、主よ、もっともっとこの名前の意味を知り、あなたへの理解を深めることができるようにしてください。