クリスチャンの居場所が社会的に認識されるために

クリスチャンの居場所が社会的に認識されるために、石破さんが首相になったら良いと思う。自民党内でも阿部体制への限界を感じる空気が広がるなかで、異なるキャラクターとしては石破さんだと思う。その場合、クリスチャンが石破さんを支えるというよりも、批判側につくことになるだろうが、でもクリスチャンというものはどうゆうものかという勉強は少しできる可能性がある。大平さんの時とはまた時代が変わっている。クリスチャン大平さんというのと、クリスチャン石破さんというのと、また違うだろう。再び、クリスチャンというものがそれほど社会的影響がないと思われるのだろうか。そう思われたとしても、一つの評価材料にはなる。彼が信仰を個人的信仰という領域においやらざるを得ないのが見えてわかる。基本的に私はクリスチャンが首相にならなくてもよいと思っている。そうでないほうがよいと思っている。日本ではめずらしくクリスチャン代議士がいること自体が不思議なことのように思っている。しかし、クリスチャン首相というのも、面白いと思う。教会が居場所を理解するために、クリスチャンがクリスチャンを自覚する勉強をそれぞれの教会、教派に合わせてしていくことになろう。