ソロモン王の背信(Ⅰ列11:1-13)

 ソロモンは自分を伝道者だと自認する最高の知恵者だ。ソロモンの知恵で私たちはもどれほど知恵を頂くことができたか。知恵が増すと悩みも増すという知恵もソロモンから頂いた。主に従ったら健康になるという知恵も頂いた。これだけ知恵があると誘惑に負けることもないと思っていたのだが、いくら知恵があって、神から離れればどうなるかがわかっていても、人は神から離れるのだ。そのことを謙虚に認めねばならない事例が、王という事例だ。王は繁栄すれば誰からも制御されることはなくなる。そうすると神から離れるのだ。ダビデは苦難のゆえに救われた。またナタンという預言者がいてくれたがゆえに悔い改めた。しかしソロモンにはどれもない。平和外交ということで頂いた多くの奥さんとそばめを通して外国の神様が入ってくる。奥さんに気を使う。そして神から離れていった。箴言を表した知恵者が自分が語った言葉の通り、神から離れていったのである。ここに理性の限界を思う。彼は無神論者の理性を持っていたわけではなかった。彼は有神論者の理性を持っていた。しかし神から離れたのである。よく、心の王座にキリストをと言われたものだ。現代社会は誰も自分をコントロールしない王座を作りやすい時代になった。実際に人を支配する王になるわけではないが、自分という心の王座にはなりやすくなった。だからこそ、我々はソロモンから学ぶことができる。誰からも制御されないで生きることができる王のように生きる可能性があるからだ。また平和を主張し平和外交をしようとして外国の奥さんをもらったソロモンから学ぶことは、平和的だと言いながら度を超えてしまうとどうなるかを教えられるような気がする。現在も事情はわかるが、夫婦間で気を使いながら教会に行くことのできなくなっている人たちがたくさんいるのではないかと思う。そのことも理解しつつ若い夫婦を霊的に支援してあげなければならない。