再びソロモン王に現れる(Ⅰ列9:1-9)

 もしイスラエルが神さまに従わなくなったらどうなるかを神さまがソロモンに伝えているが、最も心に響いて来た言葉が、「物笑いとなり、なぶりものとなろう」という言葉だ。神を信じたものが神に従わなかったら、物笑いとなり、なぶりものとなるということだった。旧約聖書を読むものは知っている。ソロモンに伝えたとおりになったことを。確かにこの国は、物笑いとなり、なぶりものとなった。約束の通りになったので、主は生きておられることが証明されたが、しかし結果的に「おまえたちの信じる神は・・」という嘲りの言葉が世界各地で横行してしまう始末だ。今、私たちが経験していることは、ヨーロッパでのキリスト教と政治が近づいた最悪の結果、ヨーロッパはまるで無神論国のようになってしまっているということだ。また私たち日本人も西洋の没落、基督教の没落、のような視点で上から目線で見るようになった。悲しいことだ。政治と基督教が一つのように見えてしまうとどうなるか、たとえば、アメリカの大統領のトランプさんがどんな方であろうとも、私はクリスチャンだと言った途端に、クリスチャンイメージがどんどん変えられてしまっているのがよくわかる。

 やはり、神を信じたら神に従わなくてはならない。神を信じたら、地の塩、世の光にならないといけない。混ぜ物をしてしまうと、一般の方がどんどん混乱してしまう。だから政治に近づくと大変なことになるのは真実だと言いたい。と言って社会から遊離してはダメだ。やはり、ペテロが言うように、旅人、寄留者、在留外国人のイメージで生きるのが大切なのだろう。そういえば、イスラエル人の位置はいつもそうだった。イスラエルに定着している時代よりも、外国の時代のほうが長かった。自分の国に帰ってきても外国人のような生き方をすることが長かかった。奴隷のように生きることが長かった。いつもそうだった。私たちはそこから学んできたのだ。旅人の時に主のご訓練を頂いたが、ソロモンの時代のように定着してしまうとあまり良いことがない。あとは落ちるばかりだということばかりを考えてしまう。福音の土着化という言葉も良いが、むしろ外国人として生きよう。ペテロもそのような生き方をすることを当然のことのように教えてくれているのではないか。旅人アイデンティティ、寄留者アイデンティティで生きよう。定着した結果、政治と結びついた結果、物笑いとなり、なぶりものになった事例、教会史を勉強していこう。結果的に内実を失った基督教の形式の惨めさに目を留めて、襟を正して行こう。