ダビデ王の最後の思い(Ⅰ列2:1-12)

今日も良い天気、清々しい朝だ。北朝鮮の不気味さとは裏腹に別世界のゴールデンウイーク。今日の箇所を読みながら、北朝鮮の三代続くトップは最後の思いをどのように息子に伝えてきたかを想像している。でも想像してもわからない。ダビデは時代の権威に迎合し、ずる賢く生き延びようとする人たち、チャンスがあれば謀反を起こそうとする人たちを警戒した。自分の治世では彼らを許容できても、息子の治世では無理だろうと思ったようだ。彼らの名前はアブとシムイとバルジライの三人。他にもいるではないかと思うのだがずっと三人だけを気にしていたんだろう。だったら自分の代に殺したら良いではないかと思うのだが、それがソロモンの最初の仕事としてすべきことだったようだ。いややりたくてもできなかったのだと思う。先延ばししつつ年をとってきてしまったのだろう。しかし、代が代わると理由ができる。大統領が代わると下も代わる、首相が代わると下も代わる、あれと同じだろう。それが東方専制国家ではこうゆうことなんだろう。ダビデ王が次の王に継承したかったことは、「強くあれ、男らしくあれ」。それから昔からのモーセの律法を守ることと、三人の取り扱いであった。非常にシンプルな遺言である。国家的な内容はややこしい、王位継承はややこしい世界だ。政治を司るクリスチャンたちにこの箇所の黙想を任せよう。私はメノナイトなので、その点は二王国論的に考える。所詮世俗国家のことなんだから、そっちの世界のことだと考えてしまう。私たちの場合は教会人としてイエスさまの弟子として生き抜くのだと考える。これがメノナイト的な生き方だ。ですから、私たちに身近な内容は、王位継承ではなく信仰継承。